日記

この街はぼくのもの

10月3週目

10月が終わりに向かっている。如実に肌寒い日が増えたように思う。

 

10/15

記憶が曖昧である。先日の血液検査の結果では鉄欠乏性貧血と自己免疫疾患を指摘されたのでこれからはそれの改善を目指すことになった。更には紹介状を渡されもう少し精密な検査をしてもらえとのことだった。大したことも分からず、また現状を打破するような薬を処方して貰えた訳でもないのに合計約8000円もかかってしまったことが憂鬱で仕方なかった。これからは毎日鉄分を摂取しようと思ったけれどそれがどれほど意味があることなのかも分からない。毎日何もせずぼーっとしていれば、特に問題ない気もした。私が持つ大体の疾患は母親からの遺伝であり、例えば掌の小指だけが短いこと、小さな顔、整った爪も全て母親からの遺伝であり私の中に父親の要素はあるのだろうかと時々思う。否、もし顔も母親に似ていたなら私はきっともう少し美人で可愛くてもう少し惨めな思いをせず生きてこれただろう。肝心なものを授けてくれなかったことに対して一抹の恨み。まあ、でももう今更どうでもいい気がした。容姿や育ってきた環境、これから先の幸せ、生き方、そういうもの。そんなことよりその時食べたいものを食べて誰にも会わず面白いアニメを見て適当にゲームして、そういうことを考えていたい。難しいだろうけれど。

 

10/16

仕事で上野に行った。つくづく東京の東の方には縁遠い。もうすぐ上京して6年になるというのに上野には片手で数えられる程しか来たことがない。とても魅力的な街である。昼から晩までひたすら歩いたり話したり、なんやかんや楽しい一日だった。蓮の葉が大きくてなんか良かった。本当はボートに乗りたかった。

 

10/17

久しぶりに鶯谷に行った。仕事で2時間少し滞在しただけなので特に物思いに耽る暇もなかったが、2019年たしかにここに私の幸せと終焉があった。東京キネマ倶楽部。いい名前である。仕事が終わると途端にお腹が空いた。なんだって食べられる気がした。天津チャーハンが食べたいなあと思った2時間後には目の前に天津チャーハンが存在していた。料理を作ることが出来る人間はみんな素晴らしいと思った。最近少し楽しすぎるかもしれないと思い、その反動への危惧があった。帰り道はいつも心がぺしゃんこである。けれど「帰り道の憂鬱」というのはいつでも楽しいことがあった時の自分を押さえ付ける役割を果たしていて、そのおかげで心の中の天秤が釣り合っているのだと思う。最近トマトを食べることにハマっている。美味しい。育てても良いかもしれない。なにか植物を育ててみたいという欲求が芽吹いている。最近流行りの丁寧な暮らしというものに憧れがある。がしかし実際丁寧な暮らしというのは、徹底的に"生活"が排除されている。人の生活感が排除された洗練されたジオラマみたいな暮らしのことを人はこぞって丁寧な暮らしという。オーガニックな野菜、時間をかけて入れた珈琲や紅茶、家の近所にある美味しいパン屋さん、主張のないインテリアと家電。本棚に並べられ壁に飾られるセンスのいい文化たち。人は生きていたらもっと汚くて生々しくて最悪なのにそれらを徹底的に排除した暮らし。憧れはするけれど実現するのは酷く難しい気がした。昔、あるバンドのMVに出演したことがある。そのバンドのベースボーカルの女の子とは旧知の仲で、MVを自主製作するから是非出演して欲しいとの事で快諾した。撮影は真夏に行われ、炎天下の中素人の専門学生が何度もカットを宣言し中々苦労して出来たものである。その夜私は彼女の家に泊まった。人の家に泊まることにものすごく抵抗があったけれどお金も無かったし彼女の好意を無碍にする訳にもいかなかった。招かれたのは古いアパートで外観からは想像もつかないほどロマンティックな部屋だった。壁には沢山のイラストと絵葉書が飾ってあり、写真が貼られていた。貧しくても夢がある優しい部屋だった。他人の家のはずなのにそこには沢山の憧れが散りばめられており、不思議と落ち着いた。いつか、こんな部屋で私も夢を抱いて暮らせたら楽しいかもしれない。23歳の夏、私はそう思った。あれに憧れることが出来たのは20代前半までだ。私はもう既に30代に片足を突っ込んでいて、目指すべきはあのような生活ではない。もっと丁寧で、清潔で、余裕のある生活である。いつまで経ってもこのボロいアパートを手放せないのはあの時ほんの少し抱いてしまった貧しくて苦しくても夢のある生活への憧れのせいかもしれない。もうあのバンドはメンバーが殆ど入れ替わっており当時YouTubeに公開されたMVも削除されている。彼女は相変わらず元気に音楽活動をやっているが畑が違うため少し疎遠になってしまった。今や彼女がどこで暮らしているのかも、まだあのロマンティックな部屋で夜な夜な夢と猫を撫でて眠っているのかも分からない。黒猫、可愛かったな。実はここだけの話、私は犬よりも猫が好きだ。

 

10/18

アルバイト。ここ最近は本当に目覚める度に休むことを考えてしまう。踏ん張って出勤。特に問題なく終わった。就業後も本業の仕事があった為気が休まらなかった。次の日のために早く寝るという行為が死ぬほど嫌いである。

 

10/19

アルバイト。久しぶりに上司に会った。彼とは沢山話をしてきたけれど覚えているのは烏龍茶を3リットル毎日飲んでたら胃を壊した話とミュージカルが苦手で、途中で歌い出す意味が分からなくて笑ってしまうという話と、雪山で死にかけた話だけである。あと絵が上手い。この世には何をやらせても大抵のことが標準以上のクオリティで出来てしまう人間というのが稀に存在していて、稀なはずなのに結構な頻度で出会ってきたけれど彼はその一人だ。何でも卒無くこなし、それを別にひけらかすことなく生きている。ホワイトボードに3分もかけないくらいの短い時間であんな漫画みたいな絵を描くのに当たり前みたいな顔で生きている。上司はピスタチオの話をしていた。食べ過ぎて親に怒られたと言っていた。適量という概念を知らないのかもしれない。相変わらず変な人だなー、と思った。よく分からないタイミングで話を振ってくるため、適当な相槌で返すが彼も彼で適当なので気にはならないみたいだ。今日も人生がイージーで楽しそうで羨ましいな、と思いながら仕事に取り組んだ。晩御飯はカレーうどんにした。最近ハマっている。帰宅すると水道が止まっていた。数日前に支払った記憶があるのに、と焦ったけれど紐解けば数ヶ月前の分を支払いそびれていたらしい。相変わらずの自分の怠惰さに少し反省した。電気やガス、水道が止まることはしばしばあるけれどこれはもう仕方の無いことだ。私には不得手な分野だ。克服しようとも思えない。止まったら止まった時に考えよう、と思ってしまっている。それがまた丁寧な暮らしから遠ざかる一つの理由なのかもしれない。誰か他人が管理してくれたら楽なのにな、とは思う。支払う意思はあるので。

 

10/20

早起きして水道局に電話、無事に水が復活した。良かった。夜にシャワーを浴びられなかったためシャワーを浴びる気満々でいたけれどかなり早い時間に母親から電話があった。最初は眠くて無視していたけれど至急連絡して、とLINEが来たので渋々折り返した。肝心の本題はかなりしょうもないものだったが彼女の話は留まることを知らず結局通話は3時間に及んだ。殆どは父親の愚痴と弟の心配だった。私はこれみよがしに母親、強いては母親の実家の子育て、いや、人間関係構築に対する価値観が一般的なものではなくかなりズレていることを指摘した。もし本当の父親と離婚してなかったら父親の価値観も備わって私はもう少し一般的なカテゴリーに属することが出来たのではないだろうか、とぼやけば、彼女は特に否定もせずに聞いていた。愛、とか喜怒哀楽、とかそういうものは教えられてこなかった。だから教えることも出来なかった。と母親は言った。その通りである。母親がそれを自覚しているので私はもう責める気にはならない。それでも10歳の弟がせめて大人になるまではもう同じ失敗はしてはならないと思う、ということを偉そうに言った。しかし突き詰めてみれば私にとっては母親の人生も弟の人生も別になるようにしかならないしどうでもよいことだ。私が拘っているのは当時5歳だった私とその当時の母親であり、あの頃は二度と戻ってこないのである。その他にも私が拘っているのはいつも過去で、そしてもうそれはやり直しのきかないものだ。愛している、という言葉を彼女は軽率に使わなかった。「昔も、そして今も私にとっては"一番の存在"だよ」と言った。そんなことは、どんな時も知っていた。一番イコール大切というわけではない。便利で的確な言葉だと思った。しかしなかなか有意義な時間ではあった。些か長過ぎるし疲れるけれどここ最近母親とはかなり対等な関係性を築くことが出来ており、話をするのは楽しいのだ。私にとっても母親は昔も今も変わらず"一番の存在"なのだと思う。予定が大幅に遅れてしまい、慌ててシャワーを浴びて渋谷に向かった。友達は今日も可愛くて、出会った時から今まで可愛くない瞬間なんて一度もなかった。どんな振る舞いも表情も何もかもずっと10年間可愛いままだ。感心さえする。夜は仕事で、本当は嫌で仕方なくて脳が完全に拒否していたのだけれど、優しい友達と優しいお客さんが幸せな気分になってくれるならいいか、と思った。本当に潮時なんだな、と感じる。誰もそう思っていなかったとしても私はそう思っている。なぜなら、とても疲れているからだ。忘れて欲しいと心から願ってしまう関係性は崩壊の一歩目である。帰宅して心底ほっとした。炒飯を食べた。

 

10/21

アルバイトだった。あまりにも行きたくなさすぎたけれど休む理由もなかった。こんな日にきちんと出勤できるようになったのはかなりの進歩である。子供の存在は大きい。子供は好きでは無いと思っていたけれど存外そうでもないらしい。いろんなことがあった。目まぐるしいほど忙しい日で終わる頃にはヘトヘトだった。乗りたかったバスも乗れなかったし散々だったけど次の日から休みだと思うと心がスキップしそうだった。久しぶりに何も無い土日である。世間のサラリーマンの金曜日の夜の気持ちが少し分かる気がした。カレーうどんを食べた。心做しかいつもより美味しい気がした。何もかもが許される束の間の時間。安寧。最高である。叫び出したいくらい幸せだった。

 

案外分厚い1週間だった。予定が詰まっていると余計なことを考えなくて済むけれど体力は使う。つくづく歳をとったなー、と思う。11月のスケジュールを確認するとかなり詰まっており、頭を抱えた。ネイルもそろそろ変えたい。が、行く時間が無い。10月最後の週も良い1週間にしたいものである。