日記

この街はぼくのもの

11月4週目

最近寒い。11月は何もかも上手くいかなかった。もう間もなく12月がやってくる。怖い。

 

11/19

記憶皆無、ということは誰にも会っていないし何も起こっていないのだろう。恐らくゲームをしたりYouTubeを見たりしたのだと思う。多分カレーうどんを食べた。飽きてきた。

 

11/20

仕事。最近正直仕事が上手くいっていない。正確にいつから上手くいかなくなったのかもう覚えていないのだが兎に角上手くいっていない。まあ仕方ない。原因も分からないしそもそも他者から見てそれが上手くいってないということになるのかすら分からない。とても悲しいことだ。何を食べたのかは覚えていない。辛い日曜日になってしまった。

 

11/21

カオマンガイというのを人生で初めて食べた。美味しかった。アイスも食べた。眼鏡を新調した。しかし私は思っていたより目が悪いらしい。不便ではあるが何もかも鮮明にはっきり見えているというのもそれはそれで疲れる気もする。とても良い一日だった。一日が中々満足のいくものだったりするとこれは幻なのではないかと思う時がある。そんな感じ。

 

11/22

バイト。何を頑張ったのかは覚えてない。

 

11/23

仕事で大阪へ行った。中々にハードなスケジュールではあったが楽しかった。他人の態度や言葉に感情が左右されるのがとても辛い。そんなことは当たり前なのだがそれでも自分の内側に他者が介入してくることに強い嫌悪がある。自分がもっと魅力的だったら。自分がもっと強ければ。あまりにも稚拙なたらればばかりが浮かぶ一日であった。他人の好意は酷く脆く、信じたいものではあるけれど信じるとはすなわち自分の思い通りになることを期待するという意味でそれはとても傲慢な気がした。感情は常に移ろいゆくものなので、見送るしかあるまい。なんとなく予感があったが全ての元凶は自分にあるのだと思う。まだ心のどこかで何もしなくても誰かが優しくしてくれると期待している自分に気付かされ恥ずかしかった。半分眠りながら新幹線で東京に帰った。

 

11/24

記憶が曖昧。こんな時お酒に頼ることが出来るタイプならもう少し人生がオモシロになってたと思うのだが残念ながらお酒は好きでは無いので薬に頼ることになる。一体何がそんなに気に入らないのかは分からないがありとあらゆる、有象無象に腹が立ってきてオーバードーズをした。薬はすごい。今飲んでるものはアッパー系なのか、しかし薬が体内から抜けると反動でエグいダウナーになる。夜中の3時くらいからダラダラと飲み続けて、泣きながらバ先の上司にあまりにも体調が悪いので明日休ませて欲しいと懇願した。鬼の速さで了承された。助かった。

 

11/25

本来ならアルバイトの予定だったが昨日のオーバードーズで全ておしまいになった。癖で目覚ましをかけていたので一度朝に目覚めた。そういえば生徒の1人が誕生日で、おめでとうと言う予定だったのに休んでしまって申し訳ない気持ちが頭を掠めた。がしかし、身体は鉛のように重たく動かなかったのでそのまま夕方まで寝腐った。全方位にすみませんと謝りながら寝た。来週からは頑張ろうと心に決めた。多分無理だと思う。

 

楽しいことがあまりにもないため、とても切ない日記になってしまった。しかしまあ、誰かに助けて欲しいとは思っていないしこんな人生もなしでは無いと思う。出来ればずっと明るく笑っていたいし、日記ではこんなふうに暗くなっているけれど実際の私はもう少し明るい方だと思うし…

 

春先の、優しい思い出をたまに思い出して温かい気持ちになる。もう一度去年からやり直したい所存である。

11月3週目

全ては曖昧な記憶頼りである。12月はもう少し書けたらいいなと思っているけれど悲しいくらい心が動くようなことがない。職場と自宅の往復だけの日々にドラマはあるまい。

 

11/12

朝から撮影。汐留まで行った。汐留のことはあまり知らないので怖かった。浜離宮とかいうクソデカ公園を練り歩いた。とても晴れていてその日の指定服が薄着だったので助かった。でこぼこの道から空を見上げたら電通の本社が堂々と聳え立っていた。同じ東京なのに世界が違うとつくづく痛感した。休憩でカメラマンとスタッフとご飯を食べた。会社のお金で食べる焼肉は美味しい。46Fから見える景色はあまりにも壮大で感動した。高いところが好きである。そのあと赤羽橋まで歩いて東京タワーにのぼった。一番上から下を見るより真ん中くらいからてっぺんを見るのが好きである。東京タワーのこと、一番好きな塔だと思っている。カレーうどんを食べた。

 

11/13

代々木公園で仕事。お日柄も良く…とはいかなかった。途中から雨が降っていて真っ暗になってしまった。公園の中の屋根がある場所でパーティーをして盛り上がっている外国人がいた。落ち葉が凄かった。虫とぶつかったりもした。終わったらラーメンを食べた。

 

11/14

仕事。最近一生仕事している。ありがたいことではあるがそろそろ体力に限界が…否、他人と接することに対するストレスがカンストしそうである。仕事は楽しかった。多分。あんまり覚えてない。帰りは確かまぜそばを食べた。次の日がアルバイトだと思うと鬱が爆発しそうだった。

 

11/15

アルバイト。記憶があまりない。行くまでが億劫なだけなので行ってしまえば割と楽しいのが救いである。確か雲呑を食べた。ワンタンを雲呑と書くのはとても美しいしピッタリだと思う。

 

11/16

アルバイト。記憶があまりない。あ、そういえばクレームが来ていたのだけどなんとかスマートに解決出来たので嬉しかった。期待していなかったことが起きると人間の心臓はびっくりするものである。昔実家の馬鹿みたいに広い庭の隅っこに苺を植えて苺が実ったのを見た時の嬉しさに似ている。本当に嬉しいこと、本当に悲しいこと、そういうのは他人に言わない。言ってしまった途端それを俯瞰で見てしまう自分を知っているからだ。そういえば上司に「最近髪染めてないんですか?」と聞かれたのだけどいつも明るいわけじやないのになんでそんなことを聞くんだ…と気になった。白髪が増えすぎているのかもしれない。最近ストレスは全て白髪になっている気がする。多分カレーうどんを食べた。

 

11/17

仕事。理由は割愛するが自分でも引くほど大号泣した。泣いて迷惑をかけるような仕事では無いから安心して欲しいのだが、ただ悲しいというわけでもなく感動したからというわけでもなく「切ない」が正しかったと思う。好きだったものがなくなる、壊れる切なさ。そしてただひたむきに続いているものが蔑ろにされがちな現実。あの頃に戻りたい、とはやはり思う。もう二度と戻ることが出来ないからそう思うのかもしれない。夕方にカレーうどんを食べた。

 

11/18

仕事。渋谷。相変わらず汚ねえ街だなと思った。特に感情の起伏はなかった。昨日のような感情がどデカく動くのには様々な条件が必要なのかもしれない。金曜日の渋谷は賑わっていて馬鹿みたいに煩かった。仕事の前にカレーうどんを食べた。

 

うどん札が貯まって仕方がない。

 

 

11月2週目

書くのを完全にサボっていた。書かなければ忘れる。当然のことである。

 

11/5

メンクリに行った。相変わらず待ち時間より診察時間の方が遥かに短い。無事に薬を手に入れて仕事に行った。涙を流すシーンの撮影の時悲しいことを思い出しても泣けるわけないので大量に目薬をさしたら逆に目が乾いた。馬鹿みたいな話だ。

 

11/6

記憶なし。特に印象的なことはなかったと思う。多分カレーうどんを食べた。

 

11/7

仕事。それ以外に記憶が無い。多分カレーうどんを食べた。

 

11/8

アルバイト。そろそろ学校に行かなきゃやばいなーと思いつつサボった。学校が遠すぎる。月食だったらしい。生徒が息を切らして月食月食!と言うので皆で見に行った。赤銅色で不思議な形をしていた。442年ぶりと言われてもピンと来なかった。私は月のこと好きだけど、別にそんなに興味が無いのかもしれない。次々と生徒が月食終わっちゃうから帰りまーすと帰宅していった。私も見たいから早く帰りたかった。

 

11/9

アルバイト。元気な小学生を見ているとこちらも元気が出る。ありがと〜と思いながら働いている。多分カレーうどんを食べた。

 

11/10

仕事。まあまあ楽しかった。体調があんまり良くなかったのかもしれない。多分カレーうどんを食べた。

 

11/11

アルバイト。保護者面談をした。他人の母親って不思議な生き物だ。優しそうやお母さんだった。かなりバタバタしていた。かなり後半でそういえば今日ポッキーの日だったな…と思い出した。恐らくカレーうどんを食べた。

 

 

毎日カレーうどんを食べてる。飽きない。

11月1週目

11月は霜月、と言われているけれどめちゃくちゃかっこいいのに存在感が薄い気がする。可哀想である。

 

10/29

夕方から野球をした。とはいえ私は根っからの運動音痴で試合に参加する気は更々なかった。本当に体力が露ほどもないくせに声量だけは馬鹿でかいので2時間ずっと野次に徹していた。自分のチームが勝った。気持ちよかった。点数を書くのに久しぶりにチョークを触った。チョーク、好きじゃない。触った感じも、書いている時の感覚も全然好きじゃない。文房具で言うと、ジェットストリームが一番好き。シャーペンは0.3mm、字は綺麗な方なのに、何故かいつもチョークで書く時は汚かった。終わったら真っ直ぐに帰宅。久しぶりに日高屋のチゲ味噌ラーメンを食べた。一時期ハマりにハマって毎日食べていたのだけど、ある日急に飽きてそれ以来初めて食べた。美味しかった。ありがとう日高屋。どこにでもあって助かる。あと、あれ、野球のナイターって好き。夜のグラウンドっていい。

 

10/30

仕事で横浜に行った。みなとみらいの近くでタワマン街だった。あっちを見てもこっちを見てもタワマンが聳え立っている。はやくタワマンに住みたい。高ければ高いほどいい。結構なトラブルに見舞われて疲れた。夜になると調子が戻ってきて東京に帰ってきたおかげもあってか心が柔らかくなっていた。今なら人に親切にできる、そんな気分になった。目の前にいる人が泣いていた。何かを見て感動することが久しくなかったため、共感してあげられなかった。最近あんまり上手に眠ることが出来ていないので困っている。睡眠と精神の安寧はあまりにも強く結び付いている。

 

10/31

ハロウィン。のことをすっかり失念していて14:30からネイルの予約を入れてしまっていた。半泣きになりながら渋谷に向かったがまだ昼だったためイカれた人間は少なくごく普通の渋谷だった気がする。撮影の前準備で服を見に行った。人生をそれなりに楽しんできた人と一緒にいるのは息が詰まる。私より可哀想な目にあっていて最悪な人生を送っていて正しく嘆いている人間といる方が楽なのかもしれない。遅いけれど、誕生日プレゼントということでかなり可愛いジャンパースカートを買って頂いた。勿論撮影のためである。終わってから代々木でご飯を食べた。代々木でご飯を食べるのは母親の従兄弟に呼び出された時以来である。圧倒的強者。権力。欲しいものは何でも手に入るうちの家系の正統後継者。代々木には何もない。お酒を何杯飲んでも酔えなかった。次の日がバイトだったので。割と楽しかったけど楽しかったせいで帰り道が最悪だった。何枚か写真を撮ったりした。今年はあんまりハロウィンを感じなかった。呆気なく10月が終わった。

 

11/1

バイト。涙が出そうなほど嫌だった。が、まあなんとかなった気がする。中学1年生がいるのは有難い。一番慣れているので。終業後は上司二人と焼肉を食べた。来年度の人事に関しての話で花が咲いた。胸がモヤモヤした。こんなことになるはずじゃなかったのにな、という気持ちがすごい。悲しい。飽き飽きしてきた。

 

11/2

バイト、とはいえ何となく体調が悪かったため早めに切り上げて夜からの撮影の準備をした。緊張していたが、まあなんとかなった。本物のスタジオに置いてあるようなどデカい照明器具がワンルームにおさまっており、いい感じではあった。頼んでいた荷物が届かなかったため、進行が大幅に変更され、時間つぶしを余儀なくされたので四文屋にいった。梅割とかいう激ヤバな飲み物を飲んで、スポーツみたいに綺麗に吐いた。4年ほど面倒を見てもらっていて寝顔もすっぴんも発狂して大暴れてしているところもラリっているところも全部見られている人間だったので特に問題はなかった。飲んでた酒がよかったのか吐いたあとはかなりスッキリした。色んな話をしたが覚えていない。明日の打ち合わせをして、何枚か写真を撮り、ぬるっと撮影が始まった。

 

11/3

仮眠を取って撮影再開。概ね順調。顔が可愛ければ最高だったと思う。とはいえこれが売り出される頃、私はもう生きてないんじゃないかな、って気持ちが大きすぎた。明るすぎる希死念慮だけが常に頭の中を横たわっていた。

 

11/4

バイト。ちゃんとやった。久しぶりに上司に会ったらマットネイルを褒められた。どれだけの女性経験があればそんなことを言えるのだろう、素直に不思議に思った。ドーナツを食べた。疲れて、早めに就寝。

 

1週間で人に会いすぎている。ストレス。

本当に辛いので希死念慮は高まるばかりだった。

 

11月はずっと仕事で休みはほぼない。無理かもしれない。

10月4週目

10月が終わろうとしている。まだハロウィンじゃないのに渋谷ではコスプレをした若者が溢れかえっているらしい。私自身コスプレは嫌いじゃないのでそういう事をしたがる若者を否定する気持ちはないが、大きな祭りが終わったあとの虚無で死にたくならないか心配である。

 

10/22

久しぶりに何も無い日だったので昼まで寝て、夕方も寝て、夜も寝た。食事は全てウーバーイーツで済ませた。最高の日だった。毎日砂のように溶けていく日々の中で時々こういう何も無い日がぽっかり生まれたりすると嬉しい気持ちになる。がしかしだからといって積極的に生産性のある日にしたいとは思わない。なるたけじっとしておくのが心の安寧を保つ秘訣である。

 

10/23

遊んだ。ドン・キホーテには本当に沢山のものが売っていて楽しい。あの雑多な感じが好きだ。何でもある。何でも揃う。欲望は全て叶う。昔、陳列が雑過ぎて火事が起こって大変なことになった店舗があったように記憶しているがあれはどこの店舗だったのだろう。日本のいろんなドン・キホーテに行ったことがあるけれど一番思い出深いのは大阪の住吉店だろうか。やたらと毛が抜けるフリースのパジャマを買ったけど今も着ている。住吉は好きな街の一つだ。亀戸は駅を出るとほんの少しだけスカイツリーが見えるのが好き。めちゃくちゃ好き。慎ましやかな感じがラブ。ペンネを食べた。味はアラビアータ。馬鹿みたいに粉チーズをかけるのがポイント。ひたすらマインスイーパをやった。マインスイーパを異常なスピードでクリアするやつ好き。かっこよすぎる。私は雑魚なのですぐ爆発させてしまう。毎度の事ながら夢みたいな時間だな、と思う。まぼろしじゃないと良いのに。

 

10/24

仕事。初めて会った女の子にかっこいいです、思わず見てしまいます、と言われた。同業の女の子に憧れられるのは滅多にないことなのでうれしかった。故にキモムーブになってしまったこと、後悔している。私に憧れるなんて変だな、と心の底から思っているけれど私は捨てるものが基本的にあまりなく、かなり捨て身に生きているので強く見えるのかもしれない。私も私のそういうところは嫌いではないのでその好意は素直に受け取った。ラブ。顔がもっと可愛かったらこの命投げ捨てスタイルも映えただろうにと思うけれど生憎容姿は普通なのでただの捨て身おばさんである。残念です。帰り際お客さんと鉢合わせて駅まで歩いた。30になったら死のうかなと言っていた。私はその気持ちが痛いほど分かるので私に彼は救えないと判断した。抗癌剤にはなれないがせめてモルヒネみたいな存在になれたらと思う。抱き締めてあげたかった。私は私が大事では無いので私の何でもあげたって構わないけれど誰かが大事にしているものを分け与えてもらえるからこそ嬉しいのだろうから、私が大事にしていないものを彼にあげても彼は嬉しくないだろう。私より若いのにかなり苦労していて心が痛いのだが、精一杯これからも笑わせてあげたいと心から思った。ラブ。

 

10/25

バイトからの仕事。この梯子はかなり疲れる。お腹の調子が悪い。いやお腹だけでは無いけど。新高円寺は最近よく行くが割と好き。帰りは強い雨が降っていて最悪だったけどタクシーで帰って難を逃れた。楽しみな予定が決まってルンルンになった。自分はフッ軽じゃないくせにかなりフッ軽でノリが良くて実行力がある人が好きだ。助かるからだ。お腹が痛くて本調子じゃなかったのが悔しい。

 

10/26

バイト。忙しかった。小学生が騒がしい。が元気なのはいいことなので良しとしよう。いいことがない。夜は眠剤を飲んだのに朝まで眠れなくて最悪だった。徹夜は嫌いだ。何度も眠剤を飲んだせいで減ってしまってジリ貧になっている。金は渡すので私の代わりに眠剤を貰ってきてくれる人を雇いたい。悲しい気分。

 

10/27

成増まで足を運んだ。バイト。あと少し足を運べば埼玉県か、と思うと不思議な気持ちになった。何となく埼玉県のこと、好きだ。ラブかもしれない。月一くらいで研修で成増に行くけど本当に遠い。バスで一本で行けるからいいものの。一睡もしてなかったのでバスで寝た。終点で起こされた。高級そうなチョコレートを貰った。やったー。帰ってから死ぬほど寝た。泥みたいに寝た。無駄に消えていった夕方や夜のことを思うと切なくなった。でも寝るのは好きなので良しとしよう。また眠剤が効かなかった。いよいよやばい。夜中とち狂って新しい薬を買おうと思ったがアマギフを買ったところでやめた。全部Amazonにつぎ込んで写真集の撮影の小道具を購入するのに使った。この1年写真ばっか撮ってるのは遺影の為である。生きている証を残しておきたいわけではないけど誰かの記憶の中で捏ねくり回されてインターネットミームのように生きるのは面白いかもしれないとおもって、他人に"無い記憶"を植え付けるのも楽しいかもしれないと思って積極的に写真を撮ってもらっている。夏の江ノ島は楽しかった。

 

10/28

バイト。バイトしすぎである。こんなにイカれてるのに学習塾という意外と堅い仕事をしているのは笑ってしまう。そして生徒と保護者から意外と好かれてるのも笑ってしまう。それにしてもまじでバイトのし過ぎで死ぬかもしれない。今日はブロック長が来てなんか美味しいものでも持ってきてくれるのではないかと密かに期待していたけれどそんなことは起こらなかった。残念である。ブロック長、いつも美味しいものをくれるので好きだ。優しい。最近忙し過ぎて肌荒れしてるのが心配である。でも夜中までスプラトゥーンをやっていると聞いたので私の心配を返してくれと思った。電話で少し話したけどイラつきすぎていたのかめちゃくちゃ怖くて逆に面白かった。忙しいのは分かるけれどイラつきを態度に出すのは良くないと思った。歳上の彼女とはいつ結婚するのだろう。結婚式に呼んで欲しいけど、私の事なんて呼んでくれないだろうな。つまんな。そもそも結婚なんかしなさそう。結婚してない上司、多過ぎる。忙し過ぎるせいだと思う。みんないい人なので。

 

10月があと残り3日分あるが、それを5週目として更新するか11月の1週目に更新するか、悩みどころである。

10月3週目

10月が終わりに向かっている。如実に肌寒い日が増えたように思う。

 

10/15

記憶が曖昧である。先日の血液検査の結果では鉄欠乏性貧血と自己免疫疾患を指摘されたのでこれからはそれの改善を目指すことになった。更には紹介状を渡されもう少し精密な検査をしてもらえとのことだった。大したことも分からず、また現状を打破するような薬を処方して貰えた訳でもないのに合計約8000円もかかってしまったことが憂鬱で仕方なかった。これからは毎日鉄分を摂取しようと思ったけれどそれがどれほど意味があることなのかも分からない。毎日何もせずぼーっとしていれば、特に問題ない気もした。私が持つ大体の疾患は母親からの遺伝であり、例えば掌の小指だけが短いこと、小さな顔、整った爪も全て母親からの遺伝であり私の中に父親の要素はあるのだろうかと時々思う。否、もし顔も母親に似ていたなら私はきっともう少し美人で可愛くてもう少し惨めな思いをせず生きてこれただろう。肝心なものを授けてくれなかったことに対して一抹の恨み。まあ、でももう今更どうでもいい気がした。容姿や育ってきた環境、これから先の幸せ、生き方、そういうもの。そんなことよりその時食べたいものを食べて誰にも会わず面白いアニメを見て適当にゲームして、そういうことを考えていたい。難しいだろうけれど。

 

10/16

仕事で上野に行った。つくづく東京の東の方には縁遠い。もうすぐ上京して6年になるというのに上野には片手で数えられる程しか来たことがない。とても魅力的な街である。昼から晩までひたすら歩いたり話したり、なんやかんや楽しい一日だった。蓮の葉が大きくてなんか良かった。本当はボートに乗りたかった。

 

10/17

久しぶりに鶯谷に行った。仕事で2時間少し滞在しただけなので特に物思いに耽る暇もなかったが、2019年たしかにここに私の幸せと終焉があった。東京キネマ倶楽部。いい名前である。仕事が終わると途端にお腹が空いた。なんだって食べられる気がした。天津チャーハンが食べたいなあと思った2時間後には目の前に天津チャーハンが存在していた。料理を作ることが出来る人間はみんな素晴らしいと思った。最近少し楽しすぎるかもしれないと思い、その反動への危惧があった。帰り道はいつも心がぺしゃんこである。けれど「帰り道の憂鬱」というのはいつでも楽しいことがあった時の自分を押さえ付ける役割を果たしていて、そのおかげで心の中の天秤が釣り合っているのだと思う。最近トマトを食べることにハマっている。美味しい。育てても良いかもしれない。なにか植物を育ててみたいという欲求が芽吹いている。最近流行りの丁寧な暮らしというものに憧れがある。がしかし実際丁寧な暮らしというのは、徹底的に"生活"が排除されている。人の生活感が排除された洗練されたジオラマみたいな暮らしのことを人はこぞって丁寧な暮らしという。オーガニックな野菜、時間をかけて入れた珈琲や紅茶、家の近所にある美味しいパン屋さん、主張のないインテリアと家電。本棚に並べられ壁に飾られるセンスのいい文化たち。人は生きていたらもっと汚くて生々しくて最悪なのにそれらを徹底的に排除した暮らし。憧れはするけれど実現するのは酷く難しい気がした。昔、あるバンドのMVに出演したことがある。そのバンドのベースボーカルの女の子とは旧知の仲で、MVを自主製作するから是非出演して欲しいとの事で快諾した。撮影は真夏に行われ、炎天下の中素人の専門学生が何度もカットを宣言し中々苦労して出来たものである。その夜私は彼女の家に泊まった。人の家に泊まることにものすごく抵抗があったけれどお金も無かったし彼女の好意を無碍にする訳にもいかなかった。招かれたのは古いアパートで外観からは想像もつかないほどロマンティックな部屋だった。壁には沢山のイラストと絵葉書が飾ってあり、写真が貼られていた。貧しくても夢がある優しい部屋だった。他人の家のはずなのにそこには沢山の憧れが散りばめられており、不思議と落ち着いた。いつか、こんな部屋で私も夢を抱いて暮らせたら楽しいかもしれない。23歳の夏、私はそう思った。あれに憧れることが出来たのは20代前半までだ。私はもう既に30代に片足を突っ込んでいて、目指すべきはあのような生活ではない。もっと丁寧で、清潔で、余裕のある生活である。いつまで経ってもこのボロいアパートを手放せないのはあの時ほんの少し抱いてしまった貧しくて苦しくても夢のある生活への憧れのせいかもしれない。もうあのバンドはメンバーが殆ど入れ替わっており当時YouTubeに公開されたMVも削除されている。彼女は相変わらず元気に音楽活動をやっているが畑が違うため少し疎遠になってしまった。今や彼女がどこで暮らしているのかも、まだあのロマンティックな部屋で夜な夜な夢と猫を撫でて眠っているのかも分からない。黒猫、可愛かったな。実はここだけの話、私は犬よりも猫が好きだ。

 

10/18

アルバイト。ここ最近は本当に目覚める度に休むことを考えてしまう。踏ん張って出勤。特に問題なく終わった。就業後も本業の仕事があった為気が休まらなかった。次の日のために早く寝るという行為が死ぬほど嫌いである。

 

10/19

アルバイト。久しぶりに上司に会った。彼とは沢山話をしてきたけれど覚えているのは烏龍茶を3リットル毎日飲んでたら胃を壊した話とミュージカルが苦手で、途中で歌い出す意味が分からなくて笑ってしまうという話と、雪山で死にかけた話だけである。あと絵が上手い。この世には何をやらせても大抵のことが標準以上のクオリティで出来てしまう人間というのが稀に存在していて、稀なはずなのに結構な頻度で出会ってきたけれど彼はその一人だ。何でも卒無くこなし、それを別にひけらかすことなく生きている。ホワイトボードに3分もかけないくらいの短い時間であんな漫画みたいな絵を描くのに当たり前みたいな顔で生きている。上司はピスタチオの話をしていた。食べ過ぎて親に怒られたと言っていた。適量という概念を知らないのかもしれない。相変わらず変な人だなー、と思った。よく分からないタイミングで話を振ってくるため、適当な相槌で返すが彼も彼で適当なので気にはならないみたいだ。今日も人生がイージーで楽しそうで羨ましいな、と思いながら仕事に取り組んだ。晩御飯はカレーうどんにした。最近ハマっている。帰宅すると水道が止まっていた。数日前に支払った記憶があるのに、と焦ったけれど紐解けば数ヶ月前の分を支払いそびれていたらしい。相変わらずの自分の怠惰さに少し反省した。電気やガス、水道が止まることはしばしばあるけれどこれはもう仕方の無いことだ。私には不得手な分野だ。克服しようとも思えない。止まったら止まった時に考えよう、と思ってしまっている。それがまた丁寧な暮らしから遠ざかる一つの理由なのかもしれない。誰か他人が管理してくれたら楽なのにな、とは思う。支払う意思はあるので。

 

10/20

早起きして水道局に電話、無事に水が復活した。良かった。夜にシャワーを浴びられなかったためシャワーを浴びる気満々でいたけれどかなり早い時間に母親から電話があった。最初は眠くて無視していたけれど至急連絡して、とLINEが来たので渋々折り返した。肝心の本題はかなりしょうもないものだったが彼女の話は留まることを知らず結局通話は3時間に及んだ。殆どは父親の愚痴と弟の心配だった。私はこれみよがしに母親、強いては母親の実家の子育て、いや、人間関係構築に対する価値観が一般的なものではなくかなりズレていることを指摘した。もし本当の父親と離婚してなかったら父親の価値観も備わって私はもう少し一般的なカテゴリーに属することが出来たのではないだろうか、とぼやけば、彼女は特に否定もせずに聞いていた。愛、とか喜怒哀楽、とかそういうものは教えられてこなかった。だから教えることも出来なかった。と母親は言った。その通りである。母親がそれを自覚しているので私はもう責める気にはならない。それでも10歳の弟がせめて大人になるまではもう同じ失敗はしてはならないと思う、ということを偉そうに言った。しかし突き詰めてみれば私にとっては母親の人生も弟の人生も別になるようにしかならないしどうでもよいことだ。私が拘っているのは当時5歳だった私とその当時の母親であり、あの頃は二度と戻ってこないのである。その他にも私が拘っているのはいつも過去で、そしてもうそれはやり直しのきかないものだ。愛している、という言葉を彼女は軽率に使わなかった。「昔も、そして今も私にとっては"一番の存在"だよ」と言った。そんなことは、どんな時も知っていた。一番イコール大切というわけではない。便利で的確な言葉だと思った。しかしなかなか有意義な時間ではあった。些か長過ぎるし疲れるけれどここ最近母親とはかなり対等な関係性を築くことが出来ており、話をするのは楽しいのだ。私にとっても母親は昔も今も変わらず"一番の存在"なのだと思う。予定が大幅に遅れてしまい、慌ててシャワーを浴びて渋谷に向かった。友達は今日も可愛くて、出会った時から今まで可愛くない瞬間なんて一度もなかった。どんな振る舞いも表情も何もかもずっと10年間可愛いままだ。感心さえする。夜は仕事で、本当は嫌で仕方なくて脳が完全に拒否していたのだけれど、優しい友達と優しいお客さんが幸せな気分になってくれるならいいか、と思った。本当に潮時なんだな、と感じる。誰もそう思っていなかったとしても私はそう思っている。なぜなら、とても疲れているからだ。忘れて欲しいと心から願ってしまう関係性は崩壊の一歩目である。帰宅して心底ほっとした。炒飯を食べた。

 

10/21

アルバイトだった。あまりにも行きたくなさすぎたけれど休む理由もなかった。こんな日にきちんと出勤できるようになったのはかなりの進歩である。子供の存在は大きい。子供は好きでは無いと思っていたけれど存外そうでもないらしい。いろんなことがあった。目まぐるしいほど忙しい日で終わる頃にはヘトヘトだった。乗りたかったバスも乗れなかったし散々だったけど次の日から休みだと思うと心がスキップしそうだった。久しぶりに何も無い土日である。世間のサラリーマンの金曜日の夜の気持ちが少し分かる気がした。カレーうどんを食べた。心做しかいつもより美味しい気がした。何もかもが許される束の間の時間。安寧。最高である。叫び出したいくらい幸せだった。

 

案外分厚い1週間だった。予定が詰まっていると余計なことを考えなくて済むけれど体力は使う。つくづく歳をとったなー、と思う。11月のスケジュールを確認するとかなり詰まっており、頭を抱えた。ネイルもそろそろ変えたい。が、行く時間が無い。10月最後の週も良い1週間にしたいものである。

 

10月2週目

はやくも2週目が終わるのかと思うと悲しい。諸行無常過ぎる。

 

10/8

仕事で大阪に行った。初めてのクラブ箱に感動した。テラスの屋根がぬめぬめと光っていた。鰹のたたきを食べたがあまりにも美味しくて涙が出そうになった。空き時間に久しぶりにサンキューマートに行ったのでトートバッグを買った。便利。嘘みたいな本当の話だが御手洗に行くと廊下にぽつんと日本人形が置かれていた。私は幽霊などは信じないタイプだけど実際に目に入ってしまうと話は変わってくる。恐らくハロウィンシーズンだしそういった趣旨の企画かなんかだろうとは予見できたがそれでも怖いものは怖い。は?と思いながら出てきた。それ以外はずっと楽しかった。夜行バスまでまたネカフェで時間を潰した。最初のサービスエリアでの休憩まで尿意が押し迫ってきて途中から息を止めていた。尿意のことばかり考えていて普段考えているような下らないことは全部忘れたので、尿意を我慢するというのは精神を健康に保つ秘訣かもしれない。ネカフェでは凪のお暇を2巻まで読んだ。

 

10/9

朝東京について真っ直ぐ家に帰った。夜行バス明け、家に着いてほっと一息、そのままゆるやかに眠る朝が、実は意外と嫌いではない。眠剤を使用していない睡眠のため夢をよく見る。夢は面白い。もっと沢山の夢を見たい。その為に1ヶ月くらい休みが欲しいと思った。久しぶりにご飯を作った。肉じゃが。じゃが多め。甘くないやつ。東京に来てから100回くらいは作った気がする。余計な野菜と肉はいらないからじゃがいもだけを煮込むのもありな気がしてきた。そういう形にとらわれないオリジナル料理を作るの、昔はわりと好きだったな〜と思い返した。オリジナルの味付けの炒り卵とか。キングオブコントを見た。個人的にはかが屋とコットンが面白かった。構成とかタイミングとかそういうことにはまるで造詣は深くないけれど、演劇ちっくというか、お芝居に魅入られるタイプのコントが好きなのかもしれないという気付きがあった。しかしまあ、ビスブラは面白かったし、納得である。明日は丸一日仕事か〜と思うと憂鬱過ぎて線路から飛び降りたくなった。

 

10/10

朝の10時から夜の23時まで仕事だった。信じられないくらい仕事だった。ふざけるな。総括すれば最高に楽しく、愉快で、あまりにも明るい一日だった。こういう夜に死ねたら最高なのになー、などと思いながら帰った。疲れ過ぎていて眠剤を飲んだあとの記憶は一切ない。夕方頃、途中から暇過ぎて散歩をした。飛行機ばかり数えた。よく東京の中で次に住むならどこにしよう?と夢想するけれどやっぱり私は目黒が好きだ。目黒に住めたならどんなにいいだろう。楽だし…

 

10/11

アルバイト。正直身体が疲れ過ぎていて寝ても寝てもその疲れが取れることはなく今日は休んでしまおうか、とギリギリまで悩んだ。が、しかしこういう時に耐えて出勤する、つまり徳を積むことによっていざと言う時、どうしてもサボりたい時の欠勤連絡における信用度が違ってくる。気付いたらメイクをしてバスに揺られていた。人間とは不思議なもので、あれだけ嫌だったのにも関わらずデスクについた途端仕事モードに切り替わるみたいだ。忙しかったとはいえ概ね問題なくこなせた。酷い吐き気が止まらなかった。

 

10/12

アルバイトをしていたら1日が終わった。砂みたいな一日だと思った。帰宅して一人きりになった途端の安心感たるや。私は割と誰かと一緒にいるのは楽しいし、好きだし、そこは間違いないのだけど同時に大きな疲労とストレスを伴う。相反するこの感覚が同時に発生するので困ったものだ。一人は寂しいしつまらないし面白くないはずなのに心底幸せで落ち着くし永遠に一人でいたいと思ってしまう。どうすれば解決するか永遠に謎である。イマジナリーフレンド……?

 

10/13

夕方先日の血液検査の結果を聞きに病院に行く予定だったが身体を起こすのがあまりにも億劫でどうしようもなかったため、予約を先延ばしにしてしまった。毎日夜になると37℃を超える微熱が出るというのは明らかに異常だと思うのだがツイッターで検索してみると同じような症状で悩んでいる人間が山ほど散見され、そのうちの何割かは鬱などによる心因性だと診断されていた。それを見ていると検査結果を聞きに行くのも馬鹿らしくなってしまった。私は明らかに、誰がどう見ても鬱病なのは分かっているけれど、やはりどこかにそれを認めたくないという気持ちがあるらしい。そもそもどうして心がゴミクソになっただけで熱が出るのだろう?大体私がこんなふうになってしまったのはもっともっと前からで、なのにどうして突然熱が出るようになったのだろう。検査結果で異常がなく心因性だと片付けられる可能性は大いにある。安定剤や眠剤を日頃から服用していることは申告済みだし、必ずそこについて言及されるのは分かっている。憂鬱が加速する木曜日だった。

 

10/14

朝起きたときから頭がぼんやりしていた。身体も怠いし熱を測ると確かにいつものような微熱が出ていた。それでも今日はアルバイト先でどうしてもやらないといけない経理作業があるため、早上がりすることにしてその作業だけ取り掛かるためにバスに乗った。夜は仕事だ。夕方一時帰宅した時も微熱は続いていたし、どうしてもどうしても行きたくなかったけれどこっちに関しては休むことに対するハードルが富士山より高いので渋々最寄り駅に向かった。今日はすこし異常だった。同業者は何故かみんなバタバタと倒れたり過呼吸を起こしたり控室が騒然としていた。挙句救急隊員まできて大騒ぎになった。案の定少し問題があるのでは?と思わざるを得ないほど酸素の量が少なかった。息苦しく、声も思うように出ない。暑くて堪らなくてお風呂の中で溺れているみたいだった。そのあとは抹茶のアイスを食べたり、残りの仕事を卒なくこなした。その後どう帰宅したのは覚えていない。ご飯を食べた形跡もなく、次目を覚ました時にはもう次の日になっていた。気絶めいたことは最近頻繁にあるので今回もそれだろう。ここ最近は加齢のせいで寝ても寝ても疲れが取れない。誰とも会わず貝みたいにじっと殻を閉じて眠り続けたい。

 

心療内科はもうずっと通っているし、しかし日常生活に差し支えることはあっても十分仕事はこなせている。私みたいな人間は何をどうすればもっと快適に、不定愁訴に悩まされず毎日を生きられるのだろうか。本当に毎日怠い。はやくタワーマンションの大きな窓の前にデカすぎるベッドを置いてずっと空や街をぼんやり眺めて何もしない生活をしたい。頼む、神様